落合博満のホームラン論その2「三冠王獲りに駆り立てたのはブーマー・ウェルズの存在」(横尾弘一) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 落合博満のホームラン論その2「三冠王獲りに駆り立てたのはブーマー・ウェルズの存在」(横尾弘一) - Yahoo!ニュース Yahoo!ニュース (出典:Yahoo!ニュース) |
落合 博満(おちあい ひろみつ、1953年12月9日 - )は、秋田県南秋田郡若美町(現:男鹿市)出身の元プロ野球選手(内野手、右投右打)・監督、野球解説者。 選手時代は1979年から1998年にかけてロッテオリオンズ・中日ドラゴンズ・読売ジャイアンツ(巨人)・日本ハムファイターズの計4球団に在籍 117キロバイト (16,883 語) - 2020年6月7日 (日) 04:57 |
現役引退から3年。12球団すべての春季キャンプに足を運び、横浜ベイスターズでは臨時コーチも務めた2001年に、
落合博満が自らの歩みと重ねて語り、現在でも変わらないホームラン論を3回にわたって掲載する。
ホームランへのこだわりはない。だから、「何本くらい打ちたい」という目標もなかった。長打力のある打者なら、ケガや大きなスランプなくシーズンを過ごせば、だいたいこれくらいは打てるだろうと目安にしていたのは30本かな。
今だから言えるけど、2年連続で記録した50本塁打だって、あくまで結果に過ぎないんだ。
そういう俺が、1982年に史上最年少の28歳で三冠王を獲ってしまった。これで、俺もスラッガーの仲間入り。ある野球評論家に「こんなに数字が低い三冠王は価値がない」と言われた時は腹が立ったけど(笑)、じゃあどうするということもなかった。
25歳でプロになり、一軍定着も遅かったから、王 貞治さん(巨人)の通算868本塁打や張本 勲さん(東映・日拓・日本ハム-巨人-ロッテ)の通算3085安打は、どんなに頑張ったって追い抜けない。
でも、三冠王という形で自分の名前が世に出た時、「これで俺も、プロ野球の歴史に名前が残せるな」と思ったくらいだな。
翌年(1983年)も首位打者を獲ったけど、契約更改では「前の年に3つ獲った選手が、今年はひとつなら減俸だ」とか言われた(笑)。でも、それで三冠王に執着したわけじゃない。
俺を三冠王獲りに駆り立てたのは、1984年のブーマー・ウェルズ(阪急)の三冠王なんだ。
ブーマーが打撃タイトルをひとりでさらってしまったわけだから、それまで3年続けて首位打者だった俺もノンタイトル。これがとても不愉快でね(笑)。
この時、「あぁ、ひとりで3つ獲ってしまうことは、他の打者にもこんなに影響を与えるんだ」と実感した。それで「来年は俺が獲ってしまおう」と決意して、ここから三冠王にこだわるようになった。
三冠王を狙うにあたって、課題になったのはホームランだった。40本台を打ったこともなかったから。そこで、何試合に1本打てばいいのかと考えた。
当時は130試合制だから、3試合に1本なら40本をクリアする。これを2.5試合にすれば52本。まさに、1985年の俺の本数になるじゃない(笑)。こういう計算のもとに、春のキャンプに臨んだ。
タイトルって、自分と闘い、数字と闘い、ライバルと戦って手にするものだからね。
幸い、この年(1985年)の俺には、ホームランを量産できそうな要素が2つあった。ひとつは技術的なこと。俺は感性を磨くことが大切だと考えてやってきた。
例えば、山田久志さん(阪急)のシンカーを攻略するために、ボールをすくい上げようとしないで上から潰そうとした。沈むボールを上から叩くという発想は、感性を研ぎ澄まさないと出てこない。
実際、これで攻略したんだからね。それじゃ、ホームランを増やしたいと考えた時、まず思いつきそうなことは何だ? パワーをつけて、飛距離を伸ばすということじゃないかな。でも、俺は違った。
ファウルになってしまう打球を、何とかポールの内側を通したいと……(笑)。出てこないでしょう、こんな発想。
本塁打量産につながった信子夫人のひと言
https://news.yahoo.co.jp/byline/yokoohirokazu/20200602-00180232/
6/2(火) 12:00
>>1
オレが許さん!
>>58
タイトル争いは「1位を獲るかどうか」だけがすべてなんだよな
数字のレベルの高い低いも突出度もどうでもいい
中西太の本塁打王はたった30本前後だったけどそれレベル低いって言ったら絶対反論してきたはず
当時はボールが飛ばなかったとか言って
一昨年くらいは息子バンバン声優やってたのに
一気に仕事減ったね 本所属になったからか?
>>3
テレビしか見てないな
この人って守備はどうだったの
遠慮なくブクブク太ったり、打撃力に全振りしたってことかな
>>9
守備範囲は滅茶苦茶狭い
>>9
ホームランを増やすために無理矢理太った
というか信子に太らされた
>>9
ショートバウンド捕るのは上手かった。
眼が良いんだろうね。
野村克也のベストナイン
投手 金田
捕手 野村
一塁 王
二塁 高木守道
三塁 長嶋
遊撃 広岡
左翼 張本
中堅 福本
右翼 イチロー
野村曰く落合ほどの偉大バッターを
ベストナインに入れられないのは不覚と嘆く
>>17
野村の時代の人だと、王長嶋高木は外せないわな
落合はその人達と守備が被っちゃってるから仕方ない
>>17
どうしても入れるならセカンドしか無いな
>>17
DHでええやん
プロ入りの頃に山内一弘監督の指導を断ったが、ファールにならない内角打ちは山内そっくりという。
>>23
プロ入り当時は理解できなかったらしい。
落合は話が面白い
一時期痩せてたのは病気でもしてたんだろうか?
最近はまた元気そうでよかった
>>25
病気だったはず。
明らかにはしてないけど、
落合の講演とか行ったけど、
監督辞めて最初の講演の時の落合は、
顔半分が少し麻痺してる感じだった。
最近はだいぶよくなったけどね。
ストレスとかでなったんじゃないかと思うよ。
>>27
そういや顔面麻痺になった話あったな!
精神的に大変だったんだろうな
落合が監督してる間も体がきついんじゃないかって話はよく出て心配してたんだよ
あの頃が懐かしいわ
野球ニュースに一喜一憂してた
落合はボールに対してどういう角度でどういう回転をかければ
スタンドインできるかという、今のメジャーがやってる最先端のデータ分析を
肌で感じながらやってたんだな
>>28
みんなそうだろ
バースが書いた本の中で
オチアイは本当に練習しないやつだ
パリーグじゃ三冠とれても
セリーグじゃとれないだろって書いてあった
本人にも言ったらしい。もっと練習しなきゃだめだって
そしたらいいんだよこれでって言われたとかなんとか
>>32
その頃、落合は陰で*ほど練習していたというオチ
>ある野球評論家に「こんなに数字が低い三冠王は価値がない」と言われた時は腹が立ったけど(笑)
さすがに故人だから名前出すの控えたか
>>33
青田あたりかな
>>81
ヒント
>>58
>>81
張本
>>81
1990年頃にテレビ東京のスポーツTODAYの月曜日に青田と一緒に出てた人
>>33
豊田泰光だよ
落合の2度目の三冠王には脱帽して、お詫びとして落合夫婦にハワイ旅行をプレゼントした
小さい小さいホーム球場でしか三冠取れなかったくせに偉そうだなコイツ
巨人じゃエース級ピッチャーぶつけられるからゼンゼン役に立たんかったなコイツ
>>43
でも、その小さい球場をホーム球場にしてたのこいつだけじゃなくて大勢いたわけだし
落合が非難される理由にはならんだろ
王さんだって、後楽園に圧縮バットだけどその時代はそれがOkだったし非難されないのと一緒
>>52
巨人は相手ピッチャーエース級ぶつけられてテレビ中継で親戚友人一同見るから張り切って本気でくるから
ロッテとかテレビ中継もないし、ビっチャーはハナクソほじりながら投げるから全然違う
>>57
金村が言ってたな
昔の近鉄はテレビ中継もマスコミのカメラもないから
みんな手入れせず鼻毛出したまま打席に立ってたと。
川崎球場の本塁打は参考記録にしてほしい
>>47
甲子園のラッキーゾーンもな
>>48
今のホームランテラスもなw
遅れてきたルーキー
>>56
これはうまい
*的な強靭なリストがあってのこと
>>71
ボーリングで鍛えられたのかも知れんな
1986年は
落合が.360 50本116打点 で三冠
ブーマー.350 42本103打点で無冠
>>72
350 42本103打点で無冠って悲しすぎるなw
太ったこと自体でなく筋肉が増えて筋力(パワ―)が付いたから飛ぶように
なったんだって。
>>73
まず太らないと筋肉つかないからね
> 翌年(1983年)も首位打者を獲ったけど、契約更改では「前の年に3つ獲った選手が、今年はひとつなら減俸だ」とか言われた(笑)。
仮に2年連続三冠王でも現状維持ベースで査定されるのか (´・ω・`)
>>74
だから「だったらトレードに出してくれ」ってなって86年オフの騒動へと繋がる
落合の話しは後付けばかりだから、話半分に聞いてた方がいい。信子のアドバイスもたぶん嘘。ただの不摂生の食いすぎ。
>>85
ほんとそれ
しかも口が上手くて立場も持ってるから誰も言い返せない
口喧嘩の野球界最強